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書名/源満仲公 胆沢城「鎮守符」
制作/奥州文庫刀剣美術館



目    次
      表紙絵・源満仲公騎馬像(清和源氏・多田満仲同族会ブログより)
「はじめに」
「符」とは?
膽澤城鎮守府「鎮守符」(本紙)
膽澤城鎮守府「鎮守符」(原文判読) 
「鎮守符」について(解説・写真)
 源(多田)満仲公について(解説・参考写真)
「安和の変」について(解説・参考写真)
 陸奥国膽澤城鎮守府について(解説・写真)
「鎮守符」(文字判読 その1)
「鎮守符」(文字判読 その2)
 文書・「満仲之印」について(解説・写真)
「鎮守符」掛軸(写真)
 付・源氏略系図(奥州文庫作成)

「はじめに」より
本史料「鎮守符」は、某市・多田家に秘蔵されていたものを当文庫が奇跡的に発見し、調査・公開の目的で購入したものです。
当地・膽澤城鎮守府に宛てた本史料は、江戸時代後期〜昭和期にかけて表装がおこなわれ、大切に秘蔵(伝世)されてきたことが窺われます。詳しい経緯は不明ですが、本紙はじめ掛軸題箋・軸箱などにより概略を知る事が可能です。 
本紙掛軸題箋や箱書きに「祖先、多田氏蔵」などと旧蔵者および作者との関係が明記され、伊豆源氏または摂津源氏の子孫・多田家(多田源氏)何れかの家系伝世品と解することができます。また、本紙署名の氏姓「源朝臣」の人物については、署名部分が後世に切除されているものの「満仲之印」(朱文方印)が文書全面に八顆押印してあることから、源満仲公(多田満仲)本人が発した文書と断定することができます。
本紙用紙は、奈良時代から現代に至るまで和歌や写経に使用されてきた雁皮紙と思われます。また、後代と同様に祐筆の手で書かれた可能性がありますが、漢字遣いなど唐代文化の影響色濃い正倉院文書などに共通し、筆書年代は平安時代・安和二年当時のものと解することが可能です。
今後において確かな調査が待たれます。 

延暦二十一(西暦802)年、この地に膽澤鎮守将軍・坂上田村麻呂によって陸奥国膽澤城鎮守府がおかれました。しかしその全容は発掘土器など発掘遺物で伺い知ることしか私たちにはできません。また、十世紀後半には膽澤城鎮守府が廃止とされながら裏付ける資料が存在せず、その頃の数十年間は空白とされています。そうした中、伝説的な恐るべき歴史渦中人物である膽澤城鎮守府将軍・源満仲公の安和二(西暦969)年の本史料が発見されたのです。中央から地方官に宛てた一通の「符」。それは小さな紙片に過ぎないのですが、実は当時の古代様式に則った公式命令文書そのもので、遡ること一千年以上という途方もない時空を巡りめぐって私たちの前に姿を現わしたのです。
まさに史跡・膽澤城鎮守府の当地にとって、空白の歴史を埋める「超一級史料・世紀の大発見」と言っても過言では無いのでしょうか。

解説文中「胆沢鎮守将軍」と記していますが当地における呼称に従っています。「胆沢」も「膽澤」と旧漢字を使用しておりますのでご了承下さい。なお本文中に、本史料写真の他に参考写真も掲載しておりますので予めお断りいたします。      
(参考文献) 鎮守府八幡宮(奥州市文化振興財団)、フリー百科事典(ウィキペディア)、清和源氏・多田満仲同族会(ブログ)、重要文化財(毎日新聞社)、秋田県佐竹資料館(ブログ)

   平成二十六年八月三十一日 

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