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ガリラヤのイェシュー
ー日本語訳新約聖書四福音書ー

著者:山浦玄嗣(やまうら はるつぐ)
出版社:イー・ピックス
発行年:2011年
判型:138 x 215 mm 
糸かがり上製本/ビニール表紙金箔押しカラーカバー付・664頁
ISBN978-4-901602-33-4
送料100円(税別)が別途かかります
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<店主のおすすめポイント>
この本の元になったのは2002年から2004年に出版された『ケセン語訳聖書』です。
『ケセン語訳聖書』を出版し、これが注目され、山浦さんとともに版元の私も全国を講演で歩くことになりました。その際、どの地でも言われたことは「ケセン語の聖書は新共同訳聖書よりもわかりやすくストンと分かるけれど、やっぱり気仙の言葉ではわかりづらい。今度はぜひ”日本語”で聖書を翻訳してほしい」という声でした。
そして、『ケセン語訳聖書』の出版から10年以上を経た2013年10月に完成したのがこの『ガリラヤのイェシュー』です。この本は、出版わずか半年で1万冊も売れた大ベストセラーになりました。

ちょっと聞き慣れない「イェシュー」という言葉はもちろんイエスのことですが、本来はヘブライ語で「イェホーシュア」と言うそうですが、訛(なま)りの強いユダヤ北のガリラヤ地方では訛って「イェシュー」と言ったのだとか。そこで本書のタイトルは『ガリラヤのイェシュー』となったわけです。日本の東北にある気仙地方は、ユダヤのガリラヤ地方と同じように首都から北にはずれた地理関係にあるのです。しかも、ガリラヤと同じに訛りも強い。(笑)

さて、詳しい説明の前に芥川賞作家の池澤夏樹さんのブログに紹介された書評を紹介いたします。
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/20111030-aa85.html

この本の素晴らしさは,わかりやすく腹におちる翻訳であることはもちろんですが、実はそのための工夫がたくさんされています。
<その1> 2千年前のユダヤの階級社会を現代の日本人に伝えやすくするため、日本の幕末から明治維新の時代をイメージして翻訳していること。これにより、私たち日本人でも2千年前のユダヤの階級制度の厳しい状況の中で発せられる言葉を無理なく理解することができます。(これまでの聖書では階級制度を感じ取れるような翻訳がされていません。例えば、イエスが山上で自分の仲間たちに話す言葉と、支配階級の人に話す言葉が違って当たり前ですが、これまでの聖書ではそれが訳し分けられていないので、読者には聖書の場面場面の真実味が伝わってきません。)

<その2> 日本の10以上の方言を駆使し、聖書の登場人物のキャラクターに合わせ翻訳していること。例えば、ファリサイ衆は武家言葉、領主のヘロデは大名言葉、イェルサレムの人々は京言葉、商人は大阪弁、ユダヤの北のガリラヤの人々の言葉は,日本の北にあるケセン語や盛岡弁、仙台弁と言った具合です。これが、聖書の世界をぐっと身近に感じさせる工夫になっています。

<その3> 注釈を本文の下や末尾に掲載するのではなく、本文に組み込んだ画期的な翻訳文になっていること。
聖書を読んだことがある方なら経験あるはずですが、聖書はいろいろな断片的な資料を寄せ集めて作られたため、理解しにくい箇所に度々出くわします。そして、その注釈を読みながら本文を読んだのではとても読みにくいものです。山浦さんは、聖書の本文の中に注釈の文章を組み込み、全体をスムーズに読み進めるように工夫をしました。もちろん、山浦さんが書き加えた箇所は誰が見ても明らかなように書体を変え段下がりにしていますので、注釈を省いて読むこともできます。
これはおそらく世界で初めての試みで、画期的な翻訳になっています。

そのほかにもたくさんの工夫がありますが、ここでは書き切れません。
いずれ、すでに聖書を持っている方も「副読本(福読本)」として、手元に置いて頂きたい1冊です。『イチジクの木の下で』(上・下巻)とともに、これから聖書を学びたいという若い方々の座右の本にして頂きたいと願い作った本です。
この本は2012年の「第2回キリスト教本屋大賞」を受賞しています。

『ガリラヤのイェシュー』刊行に寄せて
   カトリック仙台教区 司教:平賀 徹夫

山浦玄嗣氏の労作第二弾が世に出ました。
新約聖書ギリシャ語原典からの、 この度は"セケン語訳"四福音書です。
第一弾は『ケセン語訳新約聖書・四福音書』でしたが、 周知のとおりそれは日本中で大変な反響を呼びました。
「ふるさとの仲間に敬愛するヤソのことを伝えたい」との並々ならぬ思いに衝き動かされて山浦氏は、 頭ではひととおりの理解はできるというだけの言葉ではなく、ふるさとのことばこそ 「ヤソの言葉を腹の奥までも響かせる力強いことば」であるとして、 ケセン語に翻訳して提供するという前代未聞の試みを敢行したのでした。
この労作に対して湧き起った大変な反響、それはきっと山浦氏ご自身が予感できた以上の出来事だったに違いありません。
なぜならこの労作がもたらした影響はただ単に"ケセン語地方の仲間"に対してだけではなかったからです。
ケセン語を知らない全国の人々も、それこそ「頭でひととおりの理解ができる」以上に 「腹の奥までも響いてくる」ことばを聞いた、という体験をしたのでした。
全国処々方々からの氏への講演依頼が引きも切らなかった事実がそれを物語っています。
人がキリストの福音を福音として受け止めることができ、そしてそれが他者に伝わっていくことにもなっていくのは、 頭だけでなく腹の奥底で味わうことができ、そしてその宝を心から、 腹の底から溢れてくる自分のことばで表現することができて初めて可能となるのでしょう。
この第二弾『ガリラヤのイェシュー』は、さらに興味深い試みのもとで完成された力作翻訳です。
日本の北は津軽から南は薩摩まで各地のふるさと(セケン)の言葉で語る人々が登場します。
自分のふるさとがどこであろうとも、 人はそれぞれ腹にストンと落ちる自分のことばでもって聖書に関わっていくことができること、 こうして福音が文字通りどのような人にも向けられている普遍的な 「よいたより」であることの一つの証明ともなっていくようです。

<読者の声>
●とてもわかりやすい。もっと早く,この本に巡り合いたかった。(千葉県市川市/S・Tさん)
聖書の中のイエス様がこれほどまで生き生きと生きていらっしゃることに感動しました。本そのものが,本当によき便りです。ありがとうございました。(奈良県大和郡山市/H・Mさん)
●わかりいずらい方言なのに、初めて聖書の言っていることがはっきりわかるような気持ちで読んでいます。労作に感謝するとともに,ご健康が守られますようにと祈ります。(静岡県静岡市/N・Sさん)
●著者の山浦玄嗣氏にひかれ購入しました。全く門外漢ですが、キリスト教聖書をこのような形で読める幸せをかみしめています。ありがとうございます。震災から3年、大船渡から光をいただいております。皆様お元気でお過ごしください。(京都府京都市/Y・Mさん)
●ちゃんとした日本語になっていてとてもわかりやすい。これなら多くの人々に親しんでもらえると思いました。山浦さんありがとうございました。(東京都江戸川区/M・Kさん)
●聖書が血肉をつけて、目からうろこ! クリスチャン歴44年、今までの訳はわからないようにするための訳だと思う。こんなに身近にみことばを感じられて嬉しい。旧約聖書も訳してほしいです。(兵庫県神戸市/Y・Oさん)
●自然な心で聖書を読むとは自分のことばで読み味わうことであると教えられた。(埼玉県/Y・Yさん)

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