いわてイーハトーヴ書店の
   店主 熊谷雅也です。

岩手県大船渡市生まれで、小学2年生から高校生までは盛岡に住んでおりました。
小学校の低学年の時は、漫画といえば月刊誌の時代で、待ちわびた月刊誌が届くと1時間もかけずに読み終わり、
次の日からは又同じ漫画を1週間も2週間も繰り返し繰り返し読み、
付録に付いてきた紙の模型作りなどをしながら次の号を待ったものでした。
(これでだいたいの年代が想像できますね)

本との出合いは小学5年生の頃でした。
名探偵ホームズや怪盗ルパン、明智小五郎などの子供向けの推理小説を読破して
2枚目・3枚目の図書の借り出しカードをもらうのが嬉しいものでした。
中学生の1年頃になると、偕成社の日本児童文学全集の『野菊の墓』とか『ビルマの竪琴』などを小遣いで買って、
小さな本棚に蔵書が増えてゆくのを楽しんだものです。

高校の時、盛岡の材木町に住んでいたこともあり、近くの民芸店・光原社によく通っていました。
今思えば随分と地味なことをしていたのだなと思うのですが、
売られているものに心が惹かれていたのでしょう。

仙台の大学を出て就職を考えたときにまっ先に頭に浮かんだのが光原社でした。
〈どうせ勤めるならば、いいものに囲まれていたい〉という単純な動機でした。
自分の就活は生涯にただこれだけで、とんとんと就職が決まり光原社の仙台支店勤務となりました。
研修で盛岡の本店を見学させて頂いたとき、光原社の名前は宮澤賢治が命名したものであること、
光原社はもともと賢治の本を出版するために作られた会社だったこと、
そしてそのときに出版した賢治の『注文の多い料理店』の初版本が今も大切に保管されていることを知りました。

光原社での勤務は、大船渡で印刷業を営む伯母が倒れたことで2年の短い期間となりましたが、
この2年の短い期間に光原社の方々から、ものを見る目や感じる心について様々に教えられました。
それが今日の自分の仕事にも生きていると感じます。

そのときから、光陰のごとくに時は過ぎ、
今「いわてイーハトーヴ書店」という名の書店を作ることになったのには不思議な縁を感じます。

さて、この「いわてイーハトーヴ書店」の運営は「イー・ピックス/(有)大船渡印刷」(E・PIX)という会社なのですが、
イー・ピックスが出版業務をはじめ、最初に出版した本『ケセン語訳聖書:全四巻』を全国に向け販売し、
ついにはバチカンの教皇ヨハネ・パウロ2世に献呈することになったいきさつを皆さんにお話ししたいのですが、
それはまた別な機会にさせて頂きます。

バチカンの教皇世は目・パウロ2世に献呈された、ケセン語訳新約聖書全四巻2004年4月29日、山浦玄嗣さんをはじめとするケセン遣欧使節団一行の特別謁見風景

いずれ、この『ケセン語訳聖書:全四巻』の出版を機に出版を手がけることになりまもなく20年になります。
東日本大震災を通して、東北・岩手のアイデンティティをしっかりと保ち、
誇りを持って全国に向かって情報発信することの大切さを感じ、
この「いわてイーハトーヴ書店」を作ろうと発起致しました。

岩手の皆さんの手でお育て頂きたいと、心からお願い申し上げる次第です。


※イー・ピックス/(有)大船渡印刷の事業概要



※2018年8月19日現在、この記事は書きかけです