内容紹介 自分のふるさとの言葉でふるさとの仲間にイエス・キリストの福音を語りたい。子供の頃からの夢をわたしはいま実行に移します。 私は岩手県気仙(けせん)地方に育ちました。この地方ではイエスはヤソと呼ばれています。その教えは江戸時代にはキリシタン邪宗門として忌み嫌われ、第二次世界大戦終結までは国賊として警戒されました。私はそような雰囲気の中で育ち、そのためにつらい目にも遭いました。でも、それはわたしの大好きなふるさとの人々が、ヤソのすばらしさも、彼の魅力も知らないからです。 わたしはふるさとの仲間にわたしの敬愛するヤソのことを伝えたいと心から願ってきました。でも、かれのことを書いた書物「聖書」は、われわれからは遠く離れた東京の言葉、標準語で書いてあります。われわれはこれを読んで、頭ではひととおりの理解はできますが、残念ながら、それは腹の奥まではとどきません。 われわれ気仙衆にとってケセン語(気仙地方のことば)こそが、ヤソの言葉をわれわれの腹の奥までも響かせる力強いことばです。なんとかしてわれわれのことばに聖書を翻訳したい。これがわたしの幼いころからの夢でした。(序より抜粋) 出版社からのコメント ケセン語で聖書を著わすために、山浦さんは先ず「字」を創った。さらには、文法を体系化し「ケセン語の文法書」を書き上げた。 次に、「ケセン語の辞典」を著した。3万4千語の堂々たる大辞典だ。ケセン語の聖書をつくるという壮大な夢のために、山浦さんはまず「インフラづくり」を徹底的にやったのだ。そしてこのときすでに60歳。夢を抱いてから45年近くの歳月が流れていた。 しかし、そこからがまたすごい。全く習ったことのないギリシア語を独学で学び聖書を原典から訳しあげたのだ。聖書の原典はギリシア語で書かれている。日本語の聖書からケセン語に訳したのでは「翻訳のねじれ」が生じるため正確に訳すことができないと考えたのだ。 こうして訳された本に、著者自らの朗読CDを付け、ケセン語訳聖書の第1巻「マタイによる福音書」が出版されたのが2002年11月。以来、NHK教育テレビ「こころの時代」に取り上げられ、また朝日新聞や毎日新聞などの書評欄でも取り上げられ全国的に話題となった。 2004年4月までに「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」と半年おきに4巻の福音書を出版し、2004年4月28日にバチカンにおいて教皇ヨハネ・パウロ二世に謁見。著者自らケセン語訳聖書を献呈する栄誉を得た。 この仕事は、キリスト教が真に日本の地に土着化するための画期的な仕事となったばかりではなく、方言を用いた文学の最高峰として、日本の文化史の金字塔となる仕事であるとわたしは考えている。 著者について 山浦玄嗣(やまうらはるつぐ) 1940年東京都大森に生まれる。同年釜石市に移住し1944年から1950年に気仙郡越喜来村、その後、気仙郡盛町に移住。 大船渡市立盛中学校、東京都成城学園高校と岩手県立盛高校を経て、1960年、東北大学医学部に進む。 1966年、同大学卒、1971年、東北大学大学院医学研究科外科学専攻卒、医学博士となる。 東北大学坑酸菌病研究所において外科学、癌の実験病理学、放射線医学を研究し、1981年、同研究所放射線医学部門助教授。 1986年、郷里に戻り、大船渡市盛町で山浦医院を開業し、現在に至る。 専門の医学のかたわら、ふるさと気仙地方のことば「ケセン語」の研究に余暇を捧げ、「ケセン語入門」(1989年、日本地名学会「風土研究賞」受賞、共和印刷)、詩集「ケセンの詩」(1989年岩手県芸術選奨受賞、共和印刷)、気仙の歴史を書いた「ヒタカミ黄金伝説」(1998年、自費出版文化賞ー学芸部門ー受賞、共和印刷)、「ケセン語大辞典」(2000年、岩手日報文化賞受賞、無明舎出版)、『日本語訳新約聖書四福音書ガリラヤのイェシュー』(2011年、イー・ピックス)『ホルケウ英雄伝 上・下巻』(2017年、KADOKAWA)などの著書がある。1990年、岩手県地方の言葉の研究と文化振興により岩手県教育表彰受賞。2013年バチカン有功十字勲章受章受賞。2014年、小説『ナツェラットの男』で第24回ドゥマゴ文学賞受賞。 2002年、大船渡市市政功労者表彰(文化功労)受賞。 親しみやすいケセン語による数多くの講演(医学、文化、教育など)やテレビ・ラジオ出演をこなす。 1993年、仲間と共にケセン語劇団「竈けァし座」を結成司、演劇活動にも力を注いでいる。 2004年4月、全四巻のケセン語訳聖書を携えバチカンの教皇ヨハネ・パウロ二世に特別謁見し、ケセン語訳聖書の仕事を報告。バチカンから、「文化史的に意義のある仕事」との評価を貰う。
ケセン語訳新約聖書:ルカによる福音書 オンデマンド (ペーパーバック)
こちらから購入できます